Photo by Koji Sakai
第二回太郎吉蔵デザイン会議を終えて

地方に欠けているもの
日本のデザインのレベルは世界のトップクラスにあると業界内では言われているが、それは大都市に集中して、地方の小都市(田舎)にはほとんどない。
デザインの地域格差が存在している。
原因のひとつには、地方の企業や行政のデザイン観が極端に低く侮られている現状がある。物事の表層を飾る技術であると誤解されているようだ。例えばチラシの中身が第三者によって企画され、検討されて、伝達の技術(お化粧)だけがデザイナーに期待されている。チラシをつくることの意味があるかどうかを含めて、もっと本質的に最良の方法を探る機会は用意されていない。デザインの本来の役割が歪んでいるのである。

日本のデザイン力の恩恵を受けていないものを列挙してみよう。
地方の企業や行政が発行している広報誌やチラシ類、駅に貼られるイベントや観光ポスター、農産品のパッケージや菓子メーカーが大量に販売している商品のパッケージと紙袋、地方企業のTVコマーシャル、照明灯やバスの停留所や施設誘導サインや看板類やガードレールのデザイン、公共建築やオフィスビルの外観と内部、商店などの建築デザインや袖看板や屋上広告塔などきりがない。

デザイナーも反省する必要がある。つい対価に安易に結びつく活動に偏り、デザインが生活のあらゆる問題に対して、優れた解決に到達するための技術であることの啓蒙と手間を怠って来た。デザイナーには高い「志」が求められている。これらの問題を解決することは容易ではないが、デザインの各分野のリーダーたちが問題や悩みを真摯に共有することで、変革は可能であると私は考えている。

小さくて大きな会議の誕生
私のこのような問題提起に対して、原研哉、佐藤卓、東海林弘靖、平野敬子、南雲勝志、柏木博、須永剛司等が共鳴し、会議の基本方針とテーマが議論されたのは一昨年のことであった。
昨年のテーマは「デザインの近未来」、今年は「ローカルとデザイン」で、議論の根幹には高い「志」の必要性という共通認識の存在がある。

2008年9月6日の午後、第二回太郎吉蔵デザイン会議が実行委員会とNPOアートチャレンジ滝川の共催で滝川市の太郎吉蔵で開催された。
世界のデザインの第一線で活躍中のデザイナーや関係者9名が主に首都圏から集結し、熱い議論を展開した。聴衆としての参加者は
全国から、デザイナー、建築家、アーティスト、経営者、大学教授、ジャーナリスト、一般、大学院生、行政からもあり、昨年のパネリストで建築家の五十嵐淳、デザイナーの木村一男や平野湟太郎も参加して聴衆のレベルも高い。昨年も今年も定員120名を越える申し込みがあった。しかも参加者の半数である約60名は首都圏を中心に四国や新潟、長野、山形等の道外からの参加である。

パネリストには金沢21世紀美術館の設計で知られる西澤立衛、おいしい牛乳やクールミントガムのパッケージデザインで知られる佐藤卓、無印良品のアートディレクションを始め、数々の展覧会や書籍のプロデュースで今や世界的な評価を得ている原研哉、美しい住宅や伊丹十三記念館の設計で知られる建築家の中村好文、山形県遊佐町の農業活性化に取り組むフードディレクターの奥村文絵、四万十川流域の農業をデザインで元気にしているデザイナーの梅原真、日本のデザインを世界へ紹介するギャラリーディレクターの大迫修三、デジタルドキュメント制作の高度化に取り組む土屋文人、日本のモノ作りに画期的な手法を持ち込んだ西山浩平が参加している。会議の進行役は私が担当した。

噴出した議論の広がりは「問い」の集積となった
会議の議論はテーマである「ローカルとデザイン」について、様々な角度から、多くの分野の異なる問題について語られた。
テーマに対して、ひとつの結論が導かれるというよりは、パネリスト同士が触発されて、それぞれが自分の専門分野の話を越えて交錯することが、かえって新しい視点を提供してくれた。多くの「答え」だけでなく、多くの「問い」が語られ、それが議論の魅力をいっそう高めた。

いくつかの意見をご紹介すると、「グローバルとローカルについて、ローカルな経済を活性化させるのは経済そのものではなく、誇りや新しい価値をつくり出すことことが基本になる」
東京とローカルについては、「行政も企業もカルチャーも東京を向いている。他では見たことの無い新しい価値、「自分モノサシ」を持とう」
「大きな知恵(デザイン)をマネーの論理で評価するのではなく、人々が生き生きとする新しい価値の方向に求められないか」、「文化は常にローカルなものである」などが印象に残った。

パラレルに広範囲な「問い」が噴出した会議について、「聴衆にとっても、いろいろな話の中から自分にとって腑に落ちる、あるいは問題意識を共有できる事柄を選択し、頭の中で反芻しながら自己体験の補強などをすることで、自分も会議にシンクロしている思いを持つことが出来て、楽しかった。会議はまさに本音の発露の場であった」と聴衆のひとりは感想を述べてくれた。

社会を変えるデザインの力
20世紀初頭に始まったモダンデザインの世界的な広がりは、産業革命後の目覚ましい技術革新を武器に大量生産大量消費の実現を夢見て、世界の誰もが平等に美しく豊かな暮らしを手に入れることを目的とした。

デザインは企画する技術であり、計画を実現するためのプロセスそのものである。例えば、冷蔵庫や炊飯器の発明とデザインの進歩は、主婦の家事を一変させただけでなく、台所を誰もが出入り出来る美しい生活の場に変えたし、料理を老若男女のものにするためにも一役買っている。単なるプロダクトデザインではない。これらのことはアイデアでありプロセスで、生活を変革するデザインの力そのものである。

国会議員を選ぶ選挙も、デザインという技術が総動員されている。人物や政策を効果的に伝えるための様々な工夫、例えば標語や顔写真や服装や話し方までもが検討され、TVコマーシャルをつくるときのデザインのノウハウに因っている。

別の例を挙げよう。交通標識は景観を破壊しないように適切なサイズとデザインによって規定され、全国的に統一されている。どのようなデザインにするか、標識をどこに設置するかは、住民との意思疎通や調査研究の結果をデザイナーが参加してシステムとしてとりまとめている。使う側と設置する側の意志の疎通をはかる工夫がデザインという結果に収まっている。

多くのローカルが抱える問題やグローバル化の中の日本の文化の立ち位置、生活に密着した社会構造や各種の施設の改革の問題もデザインの対象となる。
例えば、旭山動物園の成功は、動物と人との関係を動物園という場の本質について問い直し、その処方箋として、新しい文化としての施設を提案している点にある。人と動物の距離を縮め、温かい交流の場を演出して見せた。さらに広報に力を入れ、絵画の力を上手に使うなど、担当者はデザイナーではないかもしれないのだが、手法はまさにデザインそのものと言える。

会議そのものが新鮮なデザイン作品として結実した
太郎吉蔵デザイン会議の特色はパネリストへの謝礼がなく、パネリストや主催者および聴衆である参加者全員が交通宿泊費と開催費用を頭割りで自己負担していることである。スポンサーはいらない。このことによって、誰かが主催したスポンサー付きの会議に招待されたか、もしくは参加した「お客さん」としてではなく、全員が主催者であり、スポンサーであり、パネリストであり、聴衆であるというような主体性が生まれることになった。

パネリストは自分自身のためにこの会議に参加している。聴衆のために語るのでなく、パネリスト同士が「問い」を共有するために、パネリストは自身の悩みや問題を本音で語ることが求められている。円卓のパネリスト達を聴衆が取り囲むように椅子を並べた。石蔵の120名という定員はその意味でも適当なサイズで、将来もこの会議の規模を大きくするつもりはない。
パネリストは自分の言葉を(意味を)大切にするために、スライドやパネルなどの補助素材を使わない珍しい会議でもある。聴衆は3時間に渡って議論を垣間みる(聞く)ことが出来る。3時間では短いという声が多いのは昨年も今年も同じであった。
志を持って語り合う場所として、遠距離の田舎の薄暗い蔵は相応しいオーラと魅力を備えているようだ。
会議は来年も、再来年も開催されることになっている。成果は毎回小冊子にまとめられ、会議参加者のみに限定配布される。

パネリスト達は日常から遠く離れ、田舎の石蔵の親密な空間で、本音で語り合い、再び日常へ帰って行った。力のあるリーダー達が他分野の同志と理解や認識を共有し、これからの仕事の中で、日本のデザインと社会を変えて行くことが可能であるとの確信を持って。

五十嵐威暢

プレス
五十嵐威暢による上記の太郎吉蔵会議のまとめが、北海道新聞文化欄(2008年9月18日夕刊)に掲載されました。
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