Photo by Koji Sakai
太郎吉蔵について

滝川駅近くにある太郎吉蔵は、商業地として繁栄を誇った頃の歴史を伝える貴重な建築です。

1926年に五十嵐太郎吉(1879~1937)が五十嵐酒造店の醸造米の貯蔵倉庫として建設し、銘酒「滝の誉」と「滝の友」を売り出しました。
美瑛軟石と推定される木骨石造り約170平方メートルの建物で、戦後、醸造業から撤退した後は食料品問屋、株式会社五十嵐商店の倉庫として1970年まで使われました。

多くの貴重な建造物が取り壊される歴史の中で、2004年、特定非営利活動法人アートチャレンジ滝川が、この蔵を魅力的なプラグラムが展開される空間として再生し、芸術イベントの開催、五十嵐アート塾の会場、さらには地元を始め、希望の方々に貸しホールとして使っていただく活動を始めました。

太郎吉蔵改修設計チーム
建築改修設計 中村好文/建築家
照明計画 東海林弘靖/照明デザイナー
外構計画 斉藤 浩二/ランドスケープアーキテクト
扉および換気塔彫刻制作  五十嵐威暢/彫刻家
改修計画報告書デザイン  原研哉/デザイナー

太郎吉蔵の改修は、個人及び企業、太陽財団からの寄付、北海道からの補助金によって実現しました。上記改修設計チームに加え、地元滝川の建築士会、歴史的建造物調査には北海道大学の協力を得ました。また2006年には、蔵周辺の緑化プランが第16回「緑のデザイン賞」緑化大賞受賞を受賞。(財)都市緑化基金の助成を受け、蔵周辺の植栽・舗石工事を滝川市民とともに実施し、果物と花を楽しむ庭ができました。

太郎吉蔵についてのさらに詳しい紹介はこちら


五十嵐太郎吉五十嵐太郎吉 略歴
明治12年(1879年)2月、福井県足羽郡和田村字北上野の五十嵐林之介の次男として生まれた。 明治28年(1895年)16歳のとき福井県から北海道へ渡る。兄の海産・農産荒物を商う仕事を手伝った後に運送会社、魚菜市場、滝川劇場、無尽会社、塩の専売会社などを興した。さらに、明治44年(1911年)滝川実業青年団を組織し、団長となり、昭和2年(1927年)北海道商工会連合会の初代会頭となる。明治42年(1909年)滝川町会議員に、大正3年(1914年)に道議会議員に当選したが、昭和12年(1937年)6月、58歳で死去した。