事前会議とは

2009年8月8日(土)の太郎吉蔵での会議時間には限りがありますので、
当日に先がけてインターネット上で会議を始めさせていただきます。
この、事前会議を前提として太郎吉蔵での会議が続行されますので、
事前に本ページをお読みいただかないと、当日はよく理解出来ないかもしれません。

インターネット事前会議 ※原文のまま掲載しています

igarashitakenobu五十嵐威暢
進行役
2009.6.24更新
当日の限られた時間内の議論の質を高めるために、メーリングリストを使ってインターネット会議を始めたいと思います。

この会議はパネリスト同士がご自身のために発言し、議論して悩みや問題を理解あるいは認識し、共有することを目的としています。どうか可能な限り本音の議論をお願いいたします。

事前会議は、本日から7月31日までの限られた時間ですので、発言を求められたパネリストの方は可能な限り迅速な発言をお願いします。期間中いつでも、何回でも、自由にご発言ください。

今年のテーマは『デザイナーの新しい役割』です。

昨年の問題提起を引き継ぎながら、今年も議論を重ねたいと思います。

まずは自己紹介やご自身のデザインに対する姿勢、悩みや問題あるいは今年のテーマについてお話ください。

それでは、原研哉さんと梅原真さんから発言をお願いいたします。

umebaramakoto梅原真
デザイナー
2009.6.24更新
そろそろ60年の人生で、最も豊かな時代を回想してみると、

それは昭和30年代ということになる。

ボクが小学校に入学したあたり。

経済は良くはないが、人の表情はイキイキと希望に燃えていた。

そのころの写真を見るとよくわかる。

未来から強い光がさしていた時代。

その確かな光に向かって人は生きていた。

テレビ放映が始まった。

矢車剣之介(ニチバン)月光仮面(武田製薬)ハリマオ(仁丹)

日真名氏飛び出す(ルル)ナショナルキッド(松下電器)

やりくりアパート(ダイハツ工業)ラーメン親子(タキロン雨とい)

エイトマン(丸美屋)狼少年ケン(森永ココア)

お手本がないがゆえに、オリジナルでクリエイティブ。スポンサー付きで記憶の中に焼き付いて消えない。

デザインもローテクだが力強く、人間的でオリジナリティーがあった。

人生で最も豊かな時代に帰りたい、

ボクはそう考えてデザインという仕事をしているのかもしれない。

文化は全てローカルから発せられるもの。

「グローバル」は経済用語であり「グローバルデザイン」なんてありえない。(原研哉談)

だから「東京風土佐文化」なんてないのである。

が、「東京風デザイン」ならローカルにはたくさんある。

東京並みになろうとして自分を見失っててしまった地方の姿と重なる。

ローカルデザイナーもまた「東京並み」になろうとしていないか?

それぞれのローカルから、それぞれのデザインを発することが

日本をオモシロク、ユタカにするのではないか。

それがデザイナーのあたらしい役割りであると思いたい。

harakenya原研哉
グラフィック
デザイナー
2009.6.25更新
梅原さん、キックオフありがとうございます。
僕も口火を切る立場として、梅原さんの言葉におこたえする前に、
最近考えていることを少しお話しさせてもらいます。

成田空港にかえってくると、いつも感じることがあります。
空間は無機質だけど、掃除は素晴らしくよくできている。
タイルはどこもピカピカで、床の上で転がり回っても
服は汚れないのではないかと思うほど。
掃除人は、就業時間が来ても、モップを放り投げたりしないで、
ちゃんと切りのいいところまで仕事をやっているんでしょうね。
この丁寧さが、妙に切実に感じられるのです。
空港を出てクルマで高速走路を走りはじめてもこの感覚は続きます。
風景を切り裂く高速道路の景観は殺伐としていますが、
路面は鏡のように滑らかで、クルマのエンジン音も静かです。
街路灯も、どれ一つとして消えていたりはしない。
都心に近づくにつれ、夜景の緻密さに感覚が引き締まってきます。
一つ一つの灯りが、切れたり明滅したりしないでちゃんと灯っている感じ。
今の東京の夜景は、結構イケてるかもしれない。
そういう感想を漏らしても、あまり同意されません。
やっぱり夜景はムンバイだよとか、香港のヴイクトリアピークがどうとか、
うるさ方の意見は百出します。
やはり、思い過ごしかもしれないと思いはじめていた矢先、
都市をテーマとしたテレビのドキュメンタリー番組で、
世界の空を飛び回るパイロットたちの言葉が紹介されていました。
「いま、上空から眺めて一番きれいな夜景は東京」
世界の夜景を機上から眺め続けている人たちの意見です。
丁寧で緻密な灯りがこんな規模で集積している場所はありません。
このあたりに僕は大切なヒントがあるように思います。
掃除をする人も、工事をする人も、加工食品をつくる人も、灯りを管理する人も、
すごく丁寧に仕事をしている。僕らはそういう文化圏に住んでいます。
あえて言葉にするなら
「繊細」、「丁寧」、「緻密」、「簡潔」というようなものでしょうか。
パリでも、ミラノでも、ロンドンでも、
たとえば展覧会の会場ひとつ日本並の完成度で作ろうとするなら、
その骨折りは並大抵ではありません。
労働者は時間がくれば作業をやめる。
勿論、欧州の職人気質というのは素晴らしいものがありますが、
特別な水準のもの作りの領域だけに高い意識をふりむけるのではなく、
ありふれた日常空間の始末をきちんと出来ることは、
とても貴重な「感覚資源」だと思います。
美意識とはそのような文化のありようではないかと思います。
もの作りに必要な「資源」とはまさにこの「美意識」ではないかと
僕は最近、思い始めています。

日本は石油や鉄鉱石のような天然資源に恵まれなかった。
しかし、今日においては、天然資源の確保に汲々としてきたことが
むしろプラスに転じるような局面があるのではないかと思います。
この美意識を資源として明確に意識化できるかどうか、
それがとても重要なことのように思われます。
「先端技術」とは美意識を運用した結果だと思うのです。
スタンダードな技術が世界中に広がっている現在、
ものづくりの空洞化を嘆いている暇なんかありません。
ものづくりの基準を量から質にはっきりとシフトさせて、
中国のお金持ちがロココ調の住まいを欲しがっているうちに、
僕らは、次に進む必要があります。
異文化との遭遇によるはげしい混乱と軋轢を経験しなければ、
決して到達できないような洗練を僕らは具体化できるはずです。
デザイナーの役割は、
ものをスタイリッシュに作ることだけではなくて、
産業やサービス、ホスピタリティなどの局面で、
ヴィジョンを提示していくことではないかと思います。

去年の会議の後、ふたつの展覧会にかかわりました。
「JAPAN CAR?飽和した地球のためのデザイン」と、
「TOKTO FIBER- SENSEWARE」という展覧会です。
いずれも日本のプロダクツがテーマですが、
決してナショナリズムではなく、日本が世界に寄与できるポイントを
このあたりに探そうと考えています。

umebaramakoto梅原真
デザイナー
2009.6.25更新
(キックオフまえのスタンドで余興やっちゃいました)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キックオフは原サンで!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日。ゆふいんの、K別荘にとまりました。

町中をぬけ、「小さな橋」を渡るとK別荘です。

リンとした玄関口

繊細に水打ちされたシンとした庭

木漏れ日の柔らかい日差しが降るファサード

品性溢れるフロントロビー

インテリジェントな音質のBGM

距離感のよいサービス

無駄のないシンプルな朝食

実に「日本の美意識」でありました。

「小さな橋」を渡って町に出てみました。

「日本の美意識のかけら」はありませんでした。

「小さな橋」の「こちら」と「あちら」。

ニッポンは「あちら」ばかりになってしまいました。

「こちら」の心地よさはなぜなのか?

全ては宿の主人の「V I S I O N」。

こうありたいというこころざしがつみかさなり

ふところ深い「V I S I O N」となり

その中にいる人たちは、明るい未来を見るのです。

この「小さな橋」を渡り帰路につき、家に帰ってしみじみ想いました。

この国には「V I S I O N」がない !

「小さな橋」の「あちら」と「こちら」

この「小さな橋」の役割がデザインなのかもしれません。

synborimanabu新堀学
建築家
2009.6.28更新
こんにちは。新堀です。
みなさまはじめまして。
「建築家」と名乗りもしますし、大体そのような領域で活動をしているのですが、
「じゃあ、建築家ってなんだ?」「建築家はデザイナーなのか?」と問われると、
思わず1秒ぐらいのインターバルがあいてしまいます。(苦笑)

梅原さんの「橋」の話はすごく示唆的で、昔あるところで私自身も「建築家の職
能は「橋をかけることではないか」」と書いたことがあります。

「あちら」と「こちら」という見方、考え方で、ほとんど成り立っているような
現代の世界ですが、「壁と卵」同様、その中の「非対称」な関係に最近関心があ
ります。というより、それに意識的にありたいといま考えています。交通できな
い非対称な関係は、やはり許されないことであると思います。と同時に、許容可
能な非対称こそが多様性につながるのだとも思っています。それらの様相をどの
ように調停していくのか。そのためにはまずその非対称性に対して鈍感であって
はいけないと考えています。

「建築家」の話に戻しますと「作り手」と「使い手」が「あちら」と「こちら」
に分かれているということで成立している「建築家」の職能概念には疑問を持ち
つづけてきました。もちろんある種「作り手」ではあるのですが、いま大切にし
たいと思っているのはそれ以前に私も「使い手」の一人であるということ。
職能の基底は「作り手としての創造力」と「使い手としての想像力」との間を往
復する中に見出せるのではないかと思うのです。

特に、「耐震偽装」という形で社会に対しての信用を問われたわれわれの職業の
日本国内の現状において、制度的には、「作り手」は「作り手」、「使い手」は
「使い手」という二分法の非対称性を前提として、それを強化し、その中に自閉
する方向へと動きつつあります。「責任」を制度の中に位置づけようとすると仕
方のないところもあるのですが、結果としてたとえば「たてものを生かす」リノ
ベーションにとっては、とても不自由な状況が発生しているのです。
「よみびとしらず」状態の古い建物に対して、後から来たものが事後的な責任を
引き受けるためのハードルが非常に高くなっている。結果としてそれを「使いた
い」「持っていて生かしたい」という人がその希望をあきらめなければならない
ことがままあるのです。

リノベーションに関心を持ってきた立場からいえば、「使い手」の存在論に軸足
を置いて、「作り手/使い手」「所有者/利用者」の間の非対称なスラッシュに
対してどのような働きかけをしていくのかこそがリノベーションの「デザイン」
の重心を決める場所だということがだんだん見えてきました。その現場の中でこ
そ、職能の存在論も自ずと見えてくる、ダイナミックに現れてくると考えている
ので、冒頭のような質問に対してはそれをどう伝えたら理解していただけるのか。
硬い言い方をすれば、存在論の問題に存在的に答えを求められる軽い困惑がある
のです。

カテゴリーやポジションありきでスタートしない、まずそれぞれの発言からとい
う今回のデザイン会議の中で、いくつの橋がかけられていくのか。非常に楽しみ
にしています。
よろしくお願いいたします。

itoryusuke伊藤隆介
映像作家
美術作家
2009.7.6更新
札幌在住の伊藤です。
映像作家、いわゆる実験映画(experimental film)とビデオ・アートを中心に作品発表を行っています。
ですから、門外漢として、デザインについて思っていることを述べさせてください。プロの方からすると、トンチンカンな部分もあると思いますが、ご容赦ください。

「あちら」と「こちら」というお題は、僕にとっては様々な連想をさせて、とても興味深いです。
まず「北海道」と「東京」の、「あちら」と「こちら」。
それから「日本」と「国外(西洋)」の、「あちら」と「こちら」。

梅原さんのご指摘通り、「グローバルデザイン」に汲々とする日本と、「東京風デザイン」に汲々とする北海道。それは相似形です。
ようするに外タレをありがたがる文化…ということなんですが、そもそも、ある日突然に仏教を輸入して国教としたり、そのために、まず大仏なんてオブジェを作っちゃうところが「日本流のやり方」だから、年季が入っています。

韓国の民族博物館の展示などを見て感心するのは、年表が「中国」「朝鮮」「日本」の3本立てであることです。おそらく政治的なアピールでもあるのでしょうが、中国から日本にいたる文化の伝播で朝鮮が果たした「道」の役割が明確化されています。ここでは、オリジンという考え方が希薄で、朝鮮の文化は中国と日本の間で相対化されているように見えます。
弥勒菩薩像をとってみても、中国にある原型、朝鮮風にアレンジされたもの、日本の広隆寺や中尊寺のものと、ポーズはほとんど同じであるものの、プロポーションや風合いが違い、日本人の僕には日本のものが優美に感じられます。「文化」とは「好み(アレンジ)」のことであることがよく理解できます。

ご存知の通り、日本の文化を形成する外来のエレメントは、その後、朝鮮経由/中国直送、ポルトガル/蘭学、ドイツ/エゲレス仕込み…と、そのもの以上に来歴と政治や為政者たちの権力闘争が結びついて、独特のマーケットを作っていきます。外車のディーラーからiPhoneまで、そこに必要なのは「こっちの方が新しい!」という付加価値です。
その「新しい」という価値観からは、多くの場合、その「新しさ」の持つオリジンが抜け落ちます。
たとえばMacintoshは、西海岸における政治的あるいは性的マイノリティーが、アジビラ印刷を容易に行うための機械でした。日本では、それをキャノンやTOOが、体制的なビジネスツールとして付加価値を加えて売ろうという展開になりました。要するに江戸時代の象や駱駝の「伝来」と同じやり方です。(それがさらに形骸化すると、巷に溢れるフライターグ風の大量生産バッグです。)
でもキャリー・アンダーウッドは民謡ですし、ジーンズは野良着です。高校生がヴィトンを欲しがってはいけません。
当り前といえば当り前ですが、優れたデザインというものがあるとしたら、それはやはり「流通」ではなく「必然性」から生まれでるものではないか…と思います。地域性から生まれるのが、オリジンです。

ただし、メディアの中央集権が極度に進んだこの国では、「ローカルは損をしている」という刷り込みが支配的です。
滝川の高校生は札幌に行きたいと思っているし、札幌の高校生は東京に行きたいと思っています。なぜならテレビ番組のほとんどは東京のニュースとトレンドを伝え、コマーシャルのほとんどは札幌の商業施設かナショナルブランドだからです。(さらに言えば、ローカル局はキー局の経済的支配下にあります。)
そして東京の高校生はロンドンか、はたまたヘルシンキに行きたいのか。(でも、そこにあるのは「ローカル」です。)

この状況を一朝一夕に変えられるとは思えません。
なぜなら、いかに「自分」の存在証明だけが表現の根拠である美術も、また、その失敗をくり返しているからです。
たとえば、日本の後期抽象表現主義が伝わればコカコーラのアッサンブラージュ、ポップアートが伝われば花魁ペインティング、渡米すればレッド・グルームス風の彫刻…と、感度のいい人、素直な人ほどクルクル変わります。
例には枚挙がありませんが、デザインのような機能がないだけに、戦後日本美術史は悲惨です。

現在の美術の世界では、今やサイト・スパシフィックな作品づくりというのが当り前になっています。その土地に滞在や生活をしたり、地域住民からリサーチすることにより、その土地の歴史や物語、空間を時間をかけてすくいあげる方法論です。
デザインについてのアプローチについても、そういう丁寧なプロジェクトがあっていいのではないかと思います。
その結果、「作る必要性は無い」「特筆すべきことは無い」という結論に落ち着いたとしても、それはそれで「よいデザイン」とは納得できます。

nishiyamakohei西山浩平
デザインプロデューサー
2009.7.7更新
西山 浩平と申します。

空想生活の創業して、12年目になりますが、
去年の8月より、初めてユーザーとして活動を始めました。

プラットフォームの運営者と利用者が同一人物なのは
よくないと言う考えから、10年近く、自ら、使用を禁じていたのですが
ユーザーが10万人にほぼ達する規模になったので、
私の参加による影響も少ないと判断しました。

その結果、空想生活を始めるときに
夢見ていた 生活の実現を
具体的にはじめることができました。

今、いくつか空想生活に、私自身が欲しいものを提案しています。
その中でも、一番進んでいるのが、ガーゼ地でつくるコートです。
部屋の中で、ガウンとして使います。

http://www.cuusoo.com/magazine/cuusoo_life_06.html

今は、タオル地のものをほぼ、10年近く使っているのですが、
乾燥に時間がかかるのと、重いので、軽くてすぐに乾くものをずっと探していまし
た。
でもなかなか見つからないので、なら、といって空想生活で提案を始めたのが
きっかけです。

今15人の仲間があつまって、漸く布地を一反買えるようになりました。

アパレルのデザイナーと一緒にサンプルを作りましたが、

http://www.facebook.com/photo.php?pid=2001406&l=d67f2688fc&id=714342403

素材は、軽く、丁度良い薄さで気に入っています。
形状も、丈をくるぶし近くまで長くして、
ソファーで寝転がっても、足先だけが冷やっこくなるのを
防ぐことができるので、機能的には、まずまずです。
しかし、ディテールがいまひとつだったので、二つ目のサンプルを作っているところ
です。

生産体制が整ったら、米国のサイトでも販売をしようと思っています。

http://www.etsy.com/

ここで、行ないたいのは、ロイヤリティマンとしてのライフスタイルの実験です。

1. サラリーマンをしながら、ロイヤリティを得る 安定収入があるうちは、ロイヤ
リティを寄付にまわす
2. ロイヤリティを共有しながら、事業を共同で運営できる仲間を数名探す
3. 独立したら, 収入にスイッチ。上記のようなマイクロ・ビジネスを空想生活上に
100近く展開する
4. 数年の後に、きちんと顧客もついたら、事業ごと、もっと大きな会社に売却
5. ここで得た、ノウハウをもとに、ロボットをつくる仲間を募る

会社生活とは、別の、個人生活の
はじめの一歩です。

陶智子陶智子
女性礼法研究家
2009.7.8更新
陶です。
はじめまして。

普段は、江戸時代、明治や大正、昭和初期に書かれた礼法書を読み、それらがどのように伝えられたかを考えています。
最初は、江戸時代に前田家(加賀藩・富山藩・大聖寺藩)に仕えた女性たちの規範となった書物「女礼」を読むことから始めましたので、女性礼法研究が専門ということです。
礼法書を読んでいて「かた」なのか「こころ」なのか、ということを考えます。
礼儀作法は、人間関係を円滑にするためのもの。
目には見えないこころを伝える手段です。
デザインとはこころの表現ですか?

さて、私が今興味を持っているのは江戸時代に庶民が使っていた鏡台です。
化粧をしている女性の描かれた浮世絵には同種の鏡台が頻出します。しかし、その鏡台がいったいいつからその形になり、日本全国に広まったのかがわかりません。とても機能的に作られています。
近代以降、西洋式の鏡台と、旧来のものが混在する時期があり、その後急速に廃れます。
旧来のぼんやりとしか映らない鏡と異なり、西洋のガラスの鏡はくっきりはっきりと映りますから、鏡の材質が変化するのは理解できます。が、鏡台の形が大きく変化することにはどのような意味があるのでしょうか。
私たちは何をどのように受け入れ、何をどのように捨て去るのでしょうか。

西山さんのガーゼの部屋着、とても着心地がよさそうですね。
読んでいて私が思い出したのは、明治生まれの祖父が、仕事から帰ると和服に着替えたことです。夏には麻のもの、冬には大島や結城、風呂上がりには細い番手の綿で織られた浴衣。ガーゼとは質感が異なりますが、その繊細さ肌触りの良さは得も言われぬものでした。そして着ていることを忘れるような軽さ。
浴衣はもとは湯帷子ですから、湯上がりの汗取り、もしくは蒸し風呂に入るときに着ているもの。
帷子は麻で織られたもの。江戸時代武家の女性の夏の装いが帷子です。藍で染められ、縫い(刺繍のことです)がほどこされたりもしました。

nishiyamakohei西山浩平
デザインプロデューサー
2009.7.8更新
陶さま、こんにちは。

そういえば、母の鏡台はいつなくなったのでしょう?
そして、祖母の鏡台も。。

母たちは、鏡台のまえで、持ち手のついた丸い手鏡を手に、
お出かけの前に、ポーズをとっていました。
手鏡を鏡台の対面にかざして、上手に角度をつけて、上げた髪の具合などをチェックしていました。

ぼくらちびは、いつ終わるともつかない
その儀式をうしろで、ミニカーやなにかを片手に
眺めていたのを、お話を伺っていて思い出しました。

そう、着るものも、随分変ったんでしょうね。

祖父と一緒に過ごした時代の、着物には、家の中で身にまとうものでも、もっとテキスチャがありました。

シャリシャリと又さばきのよいステテコ、
どんなに冷えても、ぬくいラクダの肌着(と 腹巻!)
汗をかいても、かいても足裏がペッタりしない、下駄やセッタ。

また、調整が利く物も多かったです。

ご飯を食べ過ぎると、下にずらして ぽんぽこした おなかのやり場をつくれる へこ帯
手のひらが冷えるとさっとひじから、先を暖められる そでした
そして、熱くて じっとりしてくると、ちょっと 締めをゆるくできる、 ふんどし (ユルふん!! なつかしい! ゆるすぎると落ちて、 腰紐だけになっちゃうんですよね!)

ぼくら、ちびのよそ行きには、大島のつむぎの着物なんて着させてもらえなかったから、
厚手の紺がすりを冬着ていました。 でも、夏は、ほんわりした、手触りの綿の 浴衣は おとなもこどもも同じだったと思います。
あれは、番手が細いんですね。ぼくは、てっきり洗いすぎて、薄くなっているのだと思いました。

先日、デンマークから来客があって、
週末、たまたま京都にいたので、一緒に
京都をぶらぶらしていました。 丁度、夏にむけて鴨川では、川床が始まっていたので、
ゆるゆると、気さくな店を選んで、おばんざい を 箸でつついていました。

http://www.facebook.com/photo.php?pid=2086256&l=695998a4e0&id=714342403

こういう場面では、本当は、さっと、汗を流して浴衣に着替えられていたら、
もっとゆっくりできるのでしょうね。

礼法のはなし から それた ダラしない 話題で失礼しました。

続きは、是非、滝川のブラジルで!

西山 拝

津村耕佑 津村耕佑
ファッション
デザイナー
2009.7.8更新
いつも天邪鬼な考えが浮んでくるのは
怠惰な現実に溶かされないように自ずと私に

備わった防衛本能だと思います。

それがカサブタの様に表面化したものが

私の場合ファッションという表層の表現なのでは

ないかと分析します。

今日プールに行った帰り道に思いついたことは

「絵に描いた餅」で良いのではないか!?

という考えです。

本物でなくても想像だけで満足できるなら

こんなエコな事はないではないか!

子供の頃夢見ていた2001年以降の空想科学的未来は

現実になったら意外と普通に感じるし、、、、

それなら、「現実化禁止」もありかな?

とっ、、、、、

それと、最近作ったアートユニットの名前は

「Monaka」です。

最中の皮はあまり良い比喩には使われませんが

「馬子にも衣装」という例えもあります。

何なら、最中の皮を砕いてあんこで包んでも良いかもしれません!

デザイナーはビジネスに変換してはいけないものにまで

「デザインの衣」をかけて来たのではないでしょうか?

情熱を性急に燃焼させた結果が今の世界です。

「時は金なり」なら「何もしない」は最高に贅沢ですよね。

グローバルな人間にならなくても

呼吸だけでも空間とリンクしていると感じれればラッキー

ではないでしょうか。

だからといって別に実践しなくても良いと思いますが、、、

という事で、よろしくお願いします。

igarashitakenobu五十嵐威暢
進行役
2009.7.10更新
発言が一巡しましたので、進行役の私もちょっとだけ。

「VISION」がなくて、「戦略」がないと、「事なかれ主義」や「問題の先送り」や「対応に追われるだけの最悪な状況」となります。今の日本の政治や経済だけでなくモノ作りにも言えることです。
何故、日本人は「VISION」を描くことや「戦略」の組み立てが苦手なのか、誰か答えてもらえませんか?

オリジナリティも考えれば考えるほど難しくなります。デザインにオリジナリティは存在しますか?
存在して欲しいと思いますが、、。

伊藤さんの発言にちょっとだけ補足します。
サイトスペシフィックなアートの出現はジャーナリスティックに取り上げられていますが、長年デザインに携わった者としては、不思議な感じです。なぜなら、例えば、私もデザイナー時代にクライアントは大手の数社ですが、CIとかVIとか呼ばれる分野で、そのことをやって来ているからです。建築のサイン計画などでも同様の手法が取られている例がかなりあると思います。

今後はどなたでも、お好きなタイミングで、何回でもご発言ください。

津村耕佑津村耕佑
ファッション
デザイナー
2009.7.13更新
津村です。

伊藤さんの土地の歴史や物語、空間を時間をかけてすくいあげる方法

「作る必要性は無い」「特筆すべきことは無い」という結論に落ち着いたとしても、それはそれで「よいデザイン」という感覚に共感します。



私も最近ですが日本の風景とファションの関係に必然性が欠けている思い

大学で「ストーリーとウエアー」というゼミを始めました。

ストリートウエアーがもつリアリティーは地域や人種の物語が反映

されているからです。

しかしメディアに支配されたファッションにはリアリティーが

ありません。

そこで都市の環境をカオスと観るならそれをプラスに考えたウエアーは

どんな姿だろか?

各自が興味ある場所や謎な地域をリサーチしてその背景に合う服もしくは謎を告発するウエアーを作ろうという趣旨です。



しかし日本人に深く根ざしている欧米に対するコンプレックスが環境との

バランスを失わせているので

無駄に抵抗するよりも、それを現代のリアリティーとして

捉えなおす必要があるのではないかと思っています。



考えてみれば日本では日本人どうしで様々な人種の役割を演じてきました。

それが化学変化をおこし「キャラクターになりきる能力」は世界一になったのではないでしょうか?

この現象は思わぬ服産物を産みだしました。

コスプレを初めとする様々な種類の衣装たちです。

これがグローバルな社会ならではのコンプレックスの治療に役立訳です。

架空の物語が現実を侵食していく風景も乙なものかと苦笑いしています。

harakenya原研哉
グラフィック
デザイナー
2009.7.16更新
原研哉です

僕は文化の本質はローカルなもので、
グローバルな文化なんてあり得ないと考えている立場ですが、
たとえばローカリティを論じるとき、
その対象をはっきりさせないと、話がかみ合いません。
僕の場合は、アジアの東の端の、四方を海に囲まれ、
しかも国土の大半が山や森である島々の風土を、
わがローカリティの原風景と考えてしまいがちです。
生まれは岡山市ですが。

「あちら」と「こちら」という言い方も面白いですが、
最初のお話しは、それぞれのパネリストにとっての
「あちら」と「こちら」を紹介しあうものだったという
印象があります。

僕にとってのあちらは、日本以外でありますが、
いまは相当のボリュームで中国です。あるいはアジアかな。
自分に影響を与えた一番の出来事は、
中国の経済的台頭です。
ここに強烈な経済・文化の爆発が起こっていくときに、
日本がそれに巻き込まれないで、
どのように誇りを持って、背筋をしゃんとして
世界に対峙して日々を過ごしていけるか、ということを
無意識にいつも考えているように思います。

それから、戦略がない、という観点に関して、
僕は香川県の直島、犬島、豊島を基軸とする
瀬戸内の島々とその地域を、現代アートを展開する拠点として
営々と気付き続けているベネッセ財団のVISIONは
環境や風土を資源とした秀逸な計画性をもった事例であると思います。
ここの場合は、「あちら」は欧米で「こちら」は瀬戸内の島です
その間の「東京」は飛んでいます。

umebaramakoto梅原真
デザイナー
2009.7.17更新
 由布院のK別荘に架かる小さな橋の右、左。

「こちら」VISIONあり、宿の主人。「あちら」VISIONなし、おみやげ屋。という設定からはじまりました。

 

 ところが「あちら」VISIONなし。もドッコイ生きている。

 ニッポン と 中国

「あちら」を中国と仮定してみましょう。

 この場合「あちら」が勝っているかもしれません。

 勝っているのは世界不況の中のプラス成長の「経済」のことですが、

 「経済」で「文化」は買えると思っています。

 おまけに、「これはミッキーマウスじゃない。中国のオリジナルだ!」と言いはる(笑)。

「あちら」はかなり手強い。


わたしの「こちら」と「あちら」は

民間 と 行政 かもしれません。

自由 と 平等 といいかえてもいいかも。 


84はちよんプロジェクト

http://kochi-84project.jp/

わたしが作ったVISIONです。

森林率84%はニッポンイチ。

高知生まれのわたしも、

土佐が森の国だとはしりませんでした。

みなさんもオドロイテください!

定額給付金12.000円×2名分=24.000円ではじめました。

(もうとっくにはるかオーバーしてしまいましたが・笑)

VISIONのない国策・定額給付金でVISIONを!


アソウ    と    オバマ

無印     と    しまむら

SONY と    MAC

アート    と    デザイン


どちらがどうではなしに、なんとなく「こちら」と「あちら」です。


うめばら

synborimanabu新堀学
建築家
2009.7.25更新
こんにちは。新堀です。
なかなか、難しいところに差し掛かって、レスポンスが遅くなりました。

私もグローバルという言葉の使い方は慎重にするべきと思います。
グローバルが標準で、ローカルがそこからの偏差で位置づけられるというような
使われ方、話され方は実は幻想であろうし、また二つの落とし穴があると考えて
います。

一つは、グローバルという価値体系が存在すると考えることによりかかることで
必然的に生じる思考停止です。
文化と言う言葉をここで使ってよいのか迷いますが、少なくとも価値の体系同士
の出会いにおいて起こることは、それぞれの間でのその時々での相互作用でしか
ない。それらを同時に普遍的に測ることのできる絶対的な価値、あるいは標準と
できるグローバルなどはフーリエ的な一つの夢だと思います。
自分のしていることの価値を何か絶対的な物差しが支えてくれるというのは、非
常に魅力的なものかもしれませんが、同時に多くの信仰行為の中に見られるよう
な責任の放棄に究極的にはつながります。それはその瞬間にその時々の出会いの
中で生み出されるべきダイナミックな価値にむかう/目指す可能性を閉ざすこと
ではないでしょうか。

もう一つは、同じくグローバル対ローカルという構図を前提にすることが、ロー
カルを対立項としてのグローバルに縛りつけ、さらにはそれを強化するものとし
て隷属させることになるということです。
もう少し具体的に言うと、グローバルというものに対比させなければローカルが
語れなくなるかのような状況を自分の内に作ってしまうのです。
いまここにあるローカルとの出会いをそれ自体として考えれば十分であるはずな
のに、何かそれを支える外部を要請してしまうことで、非常につまらない世界が
出来上がってしまう。

どうも抽象的には考えにくいので、具体的な事例として日本における「住宅」の
ことについて考えていることを紹介してみたいと思います。

少なくとも日本の政策として、「個人」と「住宅」が所有という関係で結ばれる
という考え方が一般化したのは、1940年代後半以降です。
「いえ」が「家」という血縁集団の空間であった時代からの開放(それは戦前か
らすでに発生していた動きですが)という民主的なテーゼの上の考え方ではあり
ますが、結果として「住宅」が個人の所有物としての耐久消費財の末に並ぶこと
になりました。つまり、民主化は「所有」という面で展開されたのです。
結果として現在の総住宅戸数は5000万戸を超えています。
そしてその平均寿命は30年。
以上のような成り立ちから、まちをつくる「わたしの」家は、「まち」の側(そ
れを使う側)から見るとアンタッチャブルで不可侵なのです。個人の所有権はそ
れほど絶対的な強度を持っているのです。しかし30年で壊されていく/壊される
ように作られるものが集まったものを「まち」と呼べるのでしょうか。それは誰
のものだと言えるのでしょう。
もちろん、それは全体主義的な都市計画が不在であることをVISIONの不在として
悲観するという方向に行くのではありません。
そうではなくもっとローカルに、住居の近傍を敷地の内外を連続させてバランス
を考えるという視点を常識として持つべきところが、敷地の内外で全く断絶した
計画論しか持たないことの不自然さを問題とすべきだと思います。

「まち」や「世界」における「戦略」や「VISION」というのは「建築」も「(所
有する)わたしのための」ものを超えて「使う誰か」のためにと考えることで何
かが開かれるのだろうと考えています。
あるいは、価値を「所有」という個人との関係に閉ざさないという前提に向かう
こと。

最初の話に戻ると人間が「経験しうる」ものはすべて自分の身体の「近傍」との
間での出来事だと考えれば、そのローカルな経験をいかに大切にデザインするの
か、すなわちどのような橋をどこに架けるのかということにデザインという行為
の意味が問われるのではないでしょうか。

そのためにも「身体」は再び見出されなければならないのではないかと思います。

その意味では、私にとってのローカルは「身体の置かれる場所の近傍」となりま
す。
「近傍」は半径1mの場合もあれば5mの場合もあります。あるいは2万kmの場
合もあるでしょう。それを定めるところからデザインが始まるとも言えます。

そのローカルで起こる体験を大切に、より豊かにすること、「その場所」に「身
体ごと」関わるというシンプルな態度が一つの「戦略」になりうるのではないで
しょうか。
建築の場合は、通常動けません。その場所につくられ、その場所を形作るという
参加の仕方による成り立ちになります。それゆえ全ての建築は世界に対するリノ
ベーションという言い方もできるかもしれません。

場所と身体に始まる体験ということの意味を更新していくということ、それは伊
藤さんの言及されたオン・サイトの考え方にもつながっていると思います。

igarashitakenobu五十嵐威暢
進行役
2009.7.25更新
皆さんの発言を読んで、思いついたことを列記します。

最適化理論では「部分最適が全体最適となることは稀である。」と考えます。
ローカルは部分ではありませんか?日本は?世界は?ローカルですか?全体(グローバル)ではありませんか?その中のローカルにこだわりますか?


よく言われることですが、世の中は誤解と思い込み(勘違い)で進行していく。
橋の向こう側とこちら側も同じこと。一筋縄では捉えられない。
しかも、その誤解と思い込みがよい結果を生み出すことがあるからやっかいです。


「グローバルから文化は生まれる。」とも考えられます。(あえて言ってみます)

40年前から欧米のデザイナーや建築家たちは自国以外に、東南アジアを舞台に仕事をしていました。
無論、華僑の仕事も積極的に。彼らには長年のノウハウが蓄積されています。
例えば、ランドスケープアーキテクトの宮城俊作さんは中国の仕事をするときは、間にアメリカの設計事務所に入ってもらいリスクを回避すると言っています。

私たちは言葉の壁にただ阻まれていたのか、志に欠けていたのか、最近まで日本のデザイナーも建築家もアジアに目を向けることはありませんでした。欧米勢と比較して30年以上、出遅れています。
最近の日本人デザイナーや建築家の海外での活躍を支えているのは、外国に強い日本人スタッフもいますが、大勢の日本語(あるいは第二外国語としての英語)に強い外国人のおかげです。かれらは外国の(日本の)文化を理解し、数カ国語を駆使し、各国で経験を蓄積して、将来はそれこそグローバルに新しい文化を提案していくでしょう。
日本のデザイン事務所や建築事務所でインターンやスタッフとして経験をつんでいる外国人は相当な数になると思います。


外国勢の独創性とその情報発進力や行動力はあなどれません。過去にも、例えばインターナショナルスタイルは単にスタイルではありませんでした。それはむしろ分かりやすい独創的な思想運動で、世界の文化を大きく変えました。新しいグローバルな文化をつくり出したのです。(合理主義によるデザインと言えるかもしれません)それは世界で受け入れられて、結果、今日の日本があります。

現在、最先端技術とその思想は日本で生まれても、実用化は海外で先行し、海外で根付いていく現状があります。(日本の社会システムや思考システムが古過ぎることが原因です。戦略も弱体です)海外勢のスピードも従来とはまるで違います。世界は急速にグローバルな新しい文化を築きつつあります。

私たちはすでにグローバルの中心にいることを自覚する必要があります。卑近な例で申し訳ないのですが、
コカコーラやマクドナルドやフレンチワインに代表されるように、食物のかなりの部分は輸入品であるにも関わらず、それら無しには生活が成り立たない日本の状況があります。魚もお茶も大半は輸入品です。豆腐や醤油や味噌は海外で同様に受け入れられ、欧米人は生の魚を健康のために積極的に、あるいは大好物として食べています。(日本の豆腐や醤油や味噌の原料である大豆は輸入品です)外国も同様に世界と一体化しています。

私たちは日常的にインターネットによって海外とつながり、海外へ向かって投資をし、休みには休暇を外国で過ごすことを当たり前のように実行しています。
ローカルは海外と直接つながっています。このつながりなしにローカルはもはや成立しません。

これらの状況をグローバルと呼ばずに何と言えば良いのでしょうか?
ローカルとグローバルは一体化しているのではありませんか?
グローバルを念頭にローカルを考えないと将来展望は難しい気がします。ローカルから考えすぎるとグローバル勢に叩きのめされる可能性もあります。回避するためには戦略が必要なのですが、日本の社会には戦略の実行を阻害する要因があり過ぎて、せっかくの妙案も時間切れや廃案となることが多いのではありませんか。

デザインは戦略を組み立てる技術です。僕らデザイナーにはそのこと(未来構築のプランづくり)が期待されていると思います。

都市を頻繁に体験するローカルの人々にとって、ローカルの日常生活は都市体験(東京や札幌)との比較なしには享受できません。
これからのローカルの文化は今までのようなローカルの概念からは生まれないと思います。

一方、ローカルでもグローバルな世界でも、そこから生まれる文化は、大勢の人たちの協力によってというよりも、大勢の力の協力以前に、偉大な個人から生まれるような気がします。
何かを突き動かすためには、尋常ではない個人の力が不可欠であることを歴史は物語っています。

好むと好まざるとに関わらず、強く、貪欲なモノが勝利する。「朱に交われば赤くなる。」「悪貨は良貨を駆逐する。」これらは真実ですね。デザインの世界も同じこと。さあーデザイナーはどうするのだろう?

igarashitakenobu五十嵐威暢
進行役
2009.7.26更新
難しい話が続いているので、すこし軌道修正します。

デザインは創造的で楽しい仕事です。

世の中が変革を必要としている時代、新しい世紀をデザイナーはどのように捉えてこれからの活動を考えているのでしょうか?

会議のテーマである「デザイナーの新しい役割」に込められている期待は、この楽しい仕事であるデザインの未来への展望でもあります。

デザイナーの新しい役割とは?
この点についてパネリストの方々の考えをお聞きしたいと思います。(楽しい話もぜひお願いします)

太郎吉蔵での議論を楽しみにしています。

synborimanabu新堀学
建築家
2009.7.28更新
こんにちは。新堀です。
五十嵐さんには少しお話したことがありますが、今、葉山で40年以上前に建てら
れた吉村順三という名建築家の住宅の応援活動を有志の仲間たち20名ほどと行っ
ています。
http://forum.inax.co.jp/renovation/interview/006/001.html

なかなか、個人住宅の保存というのは難しいとか、そもそも「保存活動」っての
は窮屈だとかということはまた難しくなってしまうので(!)ちょっと横に置い
ておいて、この建物にかかわることで出会えた幸せな邂逅のお話をしてみます。

この建物は、もともと「羽仁・シュレム邸」といって、自由学園の羽仁五郎とそ
の娘夫婦がクライアントとして建てられたものです。
海岸線ぎりぎりに、低く軒を延ばして日差しを避けつつ、風を招き入れ、また後
ろに建てられた家々の視覚を遮らない、まさに適切なスケールのデザインが海と
一体になった生活を形作る住宅です。

で、この建物を応援しようとお掃除ワークショップをわれわれが企画しているタ
イミングで、ちょうど目白にある吉村順三記念ギャラリーでこの住宅を取り上げ
たミニ展覧会が行われておりました。写真を提供したこともあり会場へ伺った折
に、この住宅を吉村事務所で担当をされた奥村さんという女性建築家にお会いす
ることになったのです。

かなりのご高齢のはずですが、とてもお元気で当時の記憶をとても明晰にお話い
ただきました。
いかにして海岸に建築を作ることになったか、羽仁さんのこと、吉村さんのこと
など生き生きとお話をいただき、とても自分だけで聞くのはもったいないと、大
学の学生と一緒にお話を伺うことにしたのです。

ほとんど孫のような学生たちに囲まれて奥村さんが身振りを交えて、かつて吉村
事務所であったギャラリーで話す様子は、40年という時間を超えて、建物が結ん
だ縁というものを感じさせてくれました。学生たちも、教科書で見た建築が実際
に存在し、またそれを設計した人から直接お話を聞くことができることにそれぞ
れ何かを受け止めているようでした。

「建物が残っていることもそれだけでうれしいが、その建物にこれだけの人たち
が気持ちを寄せてくれることがうれしい」という奥村さんから、われわれは一つ
の手紙をいただきました。

それは、40年たった建物とつきあうコツのようなものをまとめた「建物の健康」
というお手紙でした。

ご許可をいただいて、冒頭を簡単にご紹介します。

「どんな家でも長持ちさせて使えるかぎり大切に使いたいと思います。
それには、その家の持っている性質を見究めることが必要です。設計の不備がま
ず指摘されてしかるべきです。設計が予測し得なかった気象条件や、使い勝手に
ついての欠点も見出すことができます。「欠点をあばく」と言ってもいいでしょ。
それが、その建物にたいする愛情の出発点です。ここに40年以上経った建物があ
り、それをつぶさに観察する機会に恵まれたことは大きな感謝です。」

長く建築の世界におられた奥村さんと、ほぼ半世紀を隔ててこれから建築の世界
へ向かおうとする学生とが、「葉山の家」そのものが存在していることを介して
同じまなざしでつながったというところに希望を感じました。
建築が単なる「個人の」住宅を超えて何かに昇華しているとも感じました。
その場に立ち会えたことに、今ある種の感謝を私も覚えています。

陶智子陶智子
女性礼法研究家
2009.7.31更新
サントリー美術館でシアトル美術館所蔵の品々の展示が行われています。
数十羽の漆黒の烏が金色の空を舞うという印象的なポスターを目にされた方もいらっしゃるでしょう。この烏図屏風の意匠性については度々指摘されています。翼を広げた烏は、一見同じ姿のものが繰り返し描かれているかに思えますが、一羽として同じ姿はありません。羽を休めている烏も同じです。
烏図屏風のみならず、近世の絵画や工芸には、意匠性を感じさせるものが多々存在すると言われます。
「鹿下絵和歌巻」は日本に残るものは残念ながら切り離され軸となっていますが、シアトルには後半部分が切り離されないまま(巻物のまま)残っていて、今見られるすべてをこの展示で見ることができます。コンピュータ技術により、断簡をつなげて、和歌巻の当初の姿を再現するという試みもなされています(シアトル美術館のホームページで閲覧可)。巻物の名前だけではぴんとこないかもしれませんが、俵屋宗達の描く鹿はきっとご覧になられたことがあるはず。本阿弥光悦の書と、飛び跳ねたり、駆けたり、たたずんだりする鹿たちは絶妙です。これが下絵とは…。大胆かつ繊細に描かれた鹿は愛おしく思われます。群れなす鹿が描かれている場面では、先の烏と同様に一見同じように見える鹿が丹念 に描き分けられていることもわかります。同様の巻物で、宗達と光悦による「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(京都国立博物館所蔵)を知っている方も多いでしょう。
この巻物を見ていると、どうしてこのようなものが作られたのだろうか、という思いがふつふつとわきます。
近世という時代には、現代では計り知れない破天荒さというか、活気というか、力強さが存在したように思えます。
この時代、デザインという概念は存在しません。
しかし、ありとあらゆるものにデザインは存在する。後の世に生きる私たちが勝手にその概念をあてはめているに過ぎないにしても…です。

名古屋ボストン美術館で「ノリタケデザイン100年の歴史」という展示も開催されています(8月30日まで)。ノリタケは明治37年創業ですが、明治9年には森村組として陶磁器を作り始め、その時代の見本帖から実物までを見ることが出来ます。森村組は、日本人のデザイナーをアメリカへ派遣して、アメリカで売れるデザインを考案させました。それを形にしたのは職人達です。

昔のものを見ていて思うことは、デザインにオリジナリティは間違いなく存在するということです。そしてそういうものこそが千年の時を経ようとも残るのではないでしょうか。
残ったものは、愛されたものとも言えると思います。勿論、いかに愛されようとも消えることを余儀なくされる多くのものがあることも事実です。
「新しい」かどうかはわかりませんが、デザイナーの役割の大切なひとつは愛されること、愛されるものを生み出すこと。
享受する側である私たちに、けっしておもねることなく、孤高をひけらかすことなく、真摯に、愛おしく思えるものを生み出すことではないでしょうか。

正倉院の御物には現代の工芸の根源のすべてがあると言われます。きらびやかな装飾が施されたものだけでなく、匙ひとつにも残されたことには意味があると思えます。用と美が共存する姿は見る者に静かに力強く語りかけてくるかに思われます。
同様に、和紙に墨書されたものは、千年の時を経てもなお私たちに語りかける強さがあります。その墨跡の瑞々しさには血が通っていることがまざまざと立ち現れるのです。コンピュータで作成された文書は千年後の人々に語りかけられるでしょうか。

あちらとこちらは時にも存在します。
時は、過去・現在・未来となんとなくわけて考えられます。歴史も、○○時代だとか、中世とか近世とか、なんだかその時代と時代の間に明確な区切りでも存在するかのようです。
そのすべてが今の連続の一部であるというよりも、これまでと今とこれからと。

私は道具に興味があると先に書きました。江戸時代には多くの腕のいい職人がいました。彼らはせっせと熟練の技で道具をこしらえるわけですが、出来た道具には作った職人の名前はありません。稀に記名されたものもありますが、それは大名道具などといった特別のものに限られます。

津村さんのご発言に「乙」とありましたが、乙は素敵ですよね。本来は足下の石畳を文様にして着てしまう。石畳を身に纏うなんてあり得ない。だから「甲」ではなくて「乙」。石畳文様は後に好んで用いた佐野川市松の名が冠せられて市松文様と呼ばれるようになります。その乙な文様は今も生きている。常に今であり続けたということでしょう。愛され続けたとも言えます。
炎暑に秋草の文様の小袖を纏う。「涼やかさ」を着るのです。

細かいことですが、伊藤さんの「ある日突然に仏教を輸入して…」のくだりはちょっと気になりました。仏教が蘇我氏の家の宗教から国教となるまでの紆余曲折を鑑みても、とても突然の出来事とは私には解せません。廃仏派とされた物部氏は滅ぶわけですし(現代の歴史解釈は物部氏を単に廃仏派とはしません。念のため)。日本人は古来から八百万の神々を信じていたわけで、仏の存在を受け入れることもそういった流れとも考えられます。

思いつくままに、いろいろと書きました。
8日、皆様にお目にかかることを楽しみにしております。ブラジルも楽しみです。

nishiyamakohei西山浩平
デザインプロデューサー
2009.7.31更新
西山です。

陶さん、ブラジルたのしみですね!

ぼくは糸印を収集しているので、
骨董屋さんを良くのぞきます。

つい先日、ひいきにしている骨董屋で
よほど購入しようかと悩んだ屏風がありました。

明治に入ってからお金持ちが、職人に作らせた巻物を
後に財産を処分せざる終えなくなったときに、
一メートルごとに、切り離して、屏風に仕立て上げたものです。

そこには、平安時代の戦の前の兵士たちが生き生きと描写されており、
デフォルメも構図も小倉遊亀 の 「浴女 その一」を髣髴とさせるものがあり、
なかなかの一品だったんです。

しかし、巻物のなかで、その兵士たちが勝ち戦に望んだのか、そうでなかったのか
分断された屏風絵となっては、わからず、その、兵士たちに画家がこめた
アレゴリーが知れないのが不満で、結局購入をしませんでした。

巻物に登場する人物や、建物、動物たちは
巻物がそもそも持っていたメッセージの担い手です。
したがって、屏風や軸になってしまった美術・工芸品は
本来、担うはずだった意味の伝達ができずにいます。

もちろん、文人画のように、風景そのものに、
意味合いを見出すこともできますが、巻物は
物語というコンテキストがあって、本来の価値を発揮します。

多くの巻物が、そのオリジナルのカタチをとどめないでいる現代において、
原型をとどめた巻物が見れるのはすばらしいことだと思います。

コンテクストがある、巻物に価値を見出しているだけに、
多くのばらばらになった美術品を見るにつけ、
本来伝承されるべきだったメッセージはどうなってしまったのかということが、気になります。

ばらばらになった美術品からは、工芸の腕は評価できても、物語の伝達力の腕はもはや、評価できません。

その点、道具は、巻物と違って、その道具が使われていた
背景、コンテクストを用意に理解できます。

陶さんが、道具に興味をもたれるように、私も同様に道具の歴史に
大いに関心を抱いています。

道具を通じて、かつての使い手が直面していた問題と
その解決の手段が見えてくるからです。

道具が、必要に応じて生み出された、人類の智慧であったとするならば、
そして、道具を生み出す際に、デザインが大きな役割を果たしているとするならば、
デザインは本来、その時々の時代が抱えている問題の解決に
直結したものであるべきです

翻って、現在。
私たちも、気付くか気付かないかは別に多くの問題に直面しています。
デザインを取り巻く状況は、20年前と異なっています。今の問題は、
物資の欠乏ではなく、むしろ富の再配分のメカニズムだと思っています。

つまり、デザインはモノではなく、社会の仕組みそのものや、人間個人の
行動様式を対象にしなければならないと思うのです。

BOPの問題が戦争や、革命につながらなければいいと思っています。

それぞれに分断された、事象だけをみて、個別に対応するのは、
私たちが、現代どのような「巻物」のコンテクストに置かれているのかを
理解してからでも、遅くはありません。

ばらばらの事象をみんなが納得できるような物語に
編集できるような会議になることを、願いつつ。


北海道のブラジルでの:−)なトークにも、期待をして、残り8日間を過ごそうと思います。

igarashitakenobu五十嵐威暢
進行役
2009.8.1更新
昨日をもちまして事前会議が終了しました。
会議はつづいて8月8日(土)の太郎吉蔵で開催いたします。
さまざまな視点から「デザイナーの新しい役割」について議論を深めます。
ご期待いただきたいと思います。