パネリストから寄せられた感想文

(敬称略)
  • 伊藤隆介 映像作家・美術作家
  • 津村耕佑 ファッションデザイナー
  • 新堀学 建築家
  • 原研哉 グラフィックデザイナー
  • 陶智子 女性礼法研究家
  • 梅原真 グラフィックデザイナー
  • 西山浩平 デザインプロデューサー
  • 五十嵐威暢 アーティスト(進行役)
工具の散乱した作業台や映画の編集卓から、醜くも懐かしい「世界」を眺め、そこから「何か」を抽出しようという僕の日常において、「世界」の有り様を肯定的に捉え、そこに寄り添う「何か」を付け加えようというデザイナーの皆さんの心意気には刺激を受けました。
デザインは広い意味で、直接的な社会貢献を目的としているのに対し、美術はむしろそこから逸脱していった結果、文化的機能を果たす場合があります。そういった所作も、デザインの世界にとっても批評やスパイスとして有用かもしれないのですが、上手く発言できなかったことが残念でした。
デザインでも美術の世界でも、おそらく今日、共通だろうと気づくこともありました。「デザインが必要なのは政府」と大きなことを言いましたが、我が身を省みず付け加えるとしたら「必要なのはロールモデル」ということです。若者たちに「活力がない」「幼児化著しい」とか言いますが、その理由はカッコいい大人がいないから。それは、地方のデザインの不甲斐なさを語る時も同様だと思います。
そういう意味では、滝川、北海道におけるデザイナーの新しい役割について具体的な話題にならなかったことが、心残りでした。たとえば、イガラシアトリエが関東圏にあることのメリット、空想生活が滝川にある場合のデメリット、日本デザインセンターは札幌に本拠移転が可能なのかなど、そういうリアルな話を聞き、問題解決をはかる/あるいは無視する、という時間も欲しかったような気がします。
啓蒙的な視点でローカルを刺激することももちろん大切ですが、80年代のテキサスやミネアポリスのグラフィック・デザイナーたちのように、ローカルに住んで地域のデザインとその集合体である日本全体を変える人の存在がより重要と思いました。
太郎吉蔵デザイン会議に参加することは
私にとってデザイン会議というものの初体験でもありました。
自分の仕事の紹介や対談は経験済みですが
会議となると共通の問題意識が必要です。
そもそも人と違う問題を発見出来るかがクリエーターの重要な資質な訳です。
それを磨いてきた方々の世界観の違いを理解しつつ
議論をかみ合わすには多くの時間ガ必要だと思いました。
そう考えるとデザインという問題解決の技術も時間という
熟成期間が必要であるにも拘らず
現代は処理としてのデザインは多く見受けられます。
しかしクリエーションになっているのかというと疑問に思わざるをえません。
私が関わるファッションの分野では環境問題も含めた将来のビジョンを
真っ先に持つことが先端な業界の筈ですが
シーズンに追われ表層を変化させる事にのみ囚われ
将来のクリエーションにまで踏み込む時間を見つけられないのかもしれません。
そこで時間や空間を違うスケールで考えてみることで
ヒステリックなビジネスシーンをクールダウンさせる事が出来るのではないでしょうか
この会議に参加して新しいライフスタイルに繋がるインスピレーションを
得る事が出来たのは大きな収穫でした。
ビジュアルを使用しなかった事もイメージの固定化が避けられ良かったと思いました。
後は各自の中での熟成が楽しみです。
語られていたのは、二つの「デザイン」とその問題。
一つは、まさに世界に出て行く「かたち」としての「デザイン」。
「グローバル」という登録商標を持った一つのフィールドでいやおうなしに、切磋琢磨せざるを得ない創造の価値の話です。
もちろん「日本」ブランドも健闘していることは確認できましたが、一方で戦い方が素朴なのだろうということに今回の会議の中で気づかされました。
それは、そのフィールド(リングと言ってもいい)自体を規定する「言葉」、す なわち批評の不在ということです。世界に伍しているであろう、たとえばファッ ションや建築の分野でも、世界的に影響力のある批評家は日本にはいません。
もう一つの「デザイン」は、そのような状況に対して、各デザイナーがどのようにそのあり方を構築するのか、大きな言い方をしてしまえば「(「グローバル」ではなく、現象学的な意味での)世界」に対してどのような向き合い方をするの かという思想の部分だった。これに関してはおそらく私以外のあの会議へ参加された方々にはそれぞれの思想や姿勢がすでに確立されておられると感じ、またそれが共有されているというすばらしさを感じました。一方で、滝川の外側にいる 人々にとってはまだまだこれから考えるべきものとして提示されるテーマだとも感じました。その温度差を論じる言語の空間の不在も同時に痛感せざるを得ませ んでした。
これら二つの「デザイン」とそれを語るべき言葉という新たな課題について今後の活動の中で私も考えて行きたいと思います。
デザイン会議を終えて

毎年ゆったりした気持ちで参加させていただいています。今年は服飾デザイナーの津村耕佑さんとご一緒しました。千歳発の急行に乗って、駅弁を食べ終わると、海が見えてきたので慌てて札幌まで戻り、なんとか間に合いましたが、そういうハプニングも含めて、旅する会議を楽しませていただいています。道中、津村さんと色々な話をさせていただきました。

「ファッションも、オートクチュールを否定した時点で、ユニクロは想像できたはずで、いまはもうパリコレでコレクションを発表するということでもなんだよね」という津村さんの視点や、「体にフィットすると衣服、ルーズな余裕ができると毛布、もっと余裕ができるとインテリアや建築」などという発想も、今の自分の活動と照応させると、腑に落ちることが多く、収穫がありました。

セッションでは、今年は五十嵐さんが自らディベートの端緒を作っていただきましが、なかなかクロストークの醍醐味まで、到達できなかったかもしれません。しかし、どんなに猛烈なディベートを展開しても、答えはないのですから、会議の後の未燃焼な雰囲気はああいうものだと僕は思います。

クルマの話も、無責任な出まかせではなく、ロンドンとパリで開催した「JAPAN CAR」という展覧会を、3年半かけて手作りで制作し、見つめてきたことからの、自分なりの思考の煮詰まりを経て発言させてもらっていますので、個人の主観を超えて、それなりの内容をお話しさせていただきました。

会議の翌日、大雪山系の旭岳を散策し、温泉に入って帰りました。その次の日から学生たちと、種子島、屋久島をめぐり、短い夏休みには上海で中国陶磁器を少し集中して見ました。今、自分の中には、日本の国土や自然への興味と同時に、アジアへの興味がふつふつと湧いてきています。インドの仏教が大きく理想としたもの。中国の儒教が広く目指したもの。海を越え、長城をこえて怒濤のようにおしよせた人のエネルギーと欲望の本質。そういうものが発露した美術や工芸、そして文化そのものに大変興味があります。この10月のAGIの会議はイスタンブール。昨年のシカゴ同様、スピーカーとして参加しますが、この夏に、自分のうちに湧きはじめた興味をそこに問いかけてみようと思います。来年、また滝川でお会いしましょう。
太郎吉蔵で

知らない世界に触れることは楽しい。  発せられることばが小さく輝いたり、ふんわり広がったり、乾いた土に染み込むようにすーっと深いところまで届いたりする。棘のようにちくりと突き刺さることもある。ヴェールにつつみこまれたり、困惑の坩堝に…ということすら、楽しい。
なにかのはじまりが感じられると嬉しい。
それが、ごくささやかでも。はじまりには、わくわくやどきどきがある。 未知の人との出会いこそがはじまりである。
話がすれ違っているようでも、よく考えてみるとそうではなかったり、かみ合っているようで、天と地ほどに離れ離れのときもある。
静かに人の話に耳を傾け、そのことばを汲み取ろうとするのに、太郎吉蔵ほどふさわしい場があるであろうか。
繋いでいるのが土橋のようなしっかりとした橋ではなくて、弱々しい架け橋でも、大波にばらばらになりそうな舟橋でも、風に揺れる吊り橋でも、確かに繋がりがあるのだと思えてしまう不可思議な空間。勿論、土橋がしっかりとしているとは限らないし、架け橋が弱いかといえば…。すべてのことは「きれいはきたない、きたないはきれい…」と呪文のように繰り返される。
私はこの空間がこの上もなく好きだ。
デザインカイギノオモイデその?

ニホンにはセカイのデザイナーとしてのトップがいない!

というハナシがミミに残りました。

それはニホン人のビイシキがそうさせているんじゃないでしょか?

デシャバルのがきらい、ミツケラレリャ?ショ?ガナイの

オクユカシキビイシキです。

ニッポンバンザイ!!!


デザインカイギノオモイデその?

日本人の美意識はスバラシイ!なのになぜ〇〇〇ハウチュなのか!

気になる話です。

これにはあとで答えを思いつきました。

アメリカの日本文化研究家が語った

「日本人は美に敏感。醜に鈍感」という分析です。

ココロアタリあります。

茶の湯ではあれほどの美の宇宙を創造しながら

町は電線だらけ、

家は〇〇〇ハウチュを選ぶのです。


デザインカイギノオモイデその?

世界をかけめぐるキューレータだったか?

アートコーディネーターだったかの話が印象的です。

彼女は4カ国語をペラペラと話し、各国を飛び回り、

アートマネジメントをビジネスとしています。

カッコイイ!

その方の姿、形を妄想してみましたが

ついにそのビジュアルに到達しませんでした。

一度お会いしてみたい!

このような方をグローバルな方と呼ぶのでしょうか?

ちなみにワタシはローカルな人です。
自分ができることをやってみよう

「やってみよう」第二回太郎吉蔵デザイン会議で、そう決心しました。ちょうど、一年前の2008年9月6日のことです。

決めたのは、仕事をもらうというこれまでの発想をやめて、自らが発注主になってデザインを行うということ。そうすることで自分が問題だと思っていること、美しくないと感じていることが解決できると考えたのです。そしてそのデザインによる問題解決の果実を他者と分かち合うことで社会的に広げよう、そう去年のこの冊子に書き記したのです。

そのステートメントからはじめたのが、自分が欲しかった商品を自分で発注し、事業化しようという試みです。いわば小さなメーカーになるという実験を、この一年間行ってきました。自分が欲しいものを同じ美意識をもった仲間と一緒に発注することで、仕事をも生み出せるという仮説を証明したかったのです。

第一弾は、特別に軽いガーゼ製のバスローブです。事業規模は、本当にかわいいものです。初年度30万円の売り上げにもならないでしょう。まず、布代やサンプル制作費その他の経費にかかる15万円強を投資しました。そして15人のお客さんが集まれば、投資した分は帰ってくる計算で売値を設定し、予約注文をとり始めました。仕事の合間に行っている活動なので、週末や早朝を利用します。ようやく、完成試作が出来上がり、予約者が15人集まりました。 これから、実際に販売を開始します。

同じ仕事をクライアントからデザインの仕事として注文を請けて、かかった時間分を請求するのとどっちが良いのかは正直、判断が難しいところです。しかし事業のオーナーであることは、事業の成長に応じて、資産が増えるので、請負仕事にはない、満足感が得られるであろうと信じています。

自分への報酬は、商品が売れなければまったく帰ってこない。しかし、売れれば、売れるほど収入も増える。従来のデザイン業務とは異なりますが、これも立派な仕事だと思います。デザインを中心にすえた事業を起こす事と言ったほうが近いかもしれません。来年の会議では、その成果を報告いたしたいと思います。どうぞ、暖かくお見守りください。

※インターネットで「コートの形をしたバスローブ」と検索していただければ、このデザイン活動の様子が表示されます。コメントを下されば、お返事いたします。
第三回太郎吉蔵デザイン会議を終えて

デザインは戦略を組み立てる技術です。僕らデザイナーにはそのこと(近未来のプラン構築)が期待されていると実感しました。そのために目標となるようなヴィジョン(コンセプト)が必要です。一朝一夕には難しいと思いますので、今後の活動の中で常にそのことを念頭に考えていきたいと思います。高い志が求められていることを確認した会議でもありました。

反省点はいろいろとあるのですが、今後のために基本的で大切なことについて書いておきます。

私も含めて議論の仕方がまだまだ未熟であったと思います。ささやかなディベートを試みましたが、もっと戦略的であるべきだったと反省しています。
自分の考えを述べるだけでなく、もっと相手の立場や考えを尊重し、他の方々の発言を取り入れてしっかりと持論を展開してたいし、発言の最後には次の方につなげるような配慮をすることが大人の議論であると考えます。
議論の芽を積極的に育てながら、より大きく深くしていくような努力を全員ですることが出来たら、会議の成果はさらに大きくなると感じました。皆さんとともに努力したいと思います。

参加された方々から寄せられた感想文

(敬称略)
  • 古川盛一 グラフィックデザイナー
  • 池田博子 主婦
  • 池田陽子 主婦
  • 荒井千恵子 ヨガ講師
  • 小谷陽次郎 北海道日建設計
  • 中井健太 札幌市立大学学生
  • 山崎亮 ランドスケープデザイナー
  • 永関真千子 カメラマン
  • 酒井広司 写真家
  • 木村愛 会社員 加賀棒茶
  • 菊池真実 デザイナー
  • 鈴木紀美江 北海道インテリアコーディネーター協会
  • 竹尾有一 株式会社 竹尾
非常に有意義なひとときでした。原さんの発言は、私の仕事にも通じるものであり、仕事に生かすことができると思いました。

が、前半の途中で、蔵の戸を開けるという考えがたい行為が緊迫感を台無しにしてしまいました。
工事の音、トラックの通行する騒音、果ては花火の音などが鳴ってもドアを閉めない始末。

レジュメの「太郎吉蔵内の暗い雰囲気を大事にするためにフラッシュ撮影はご遠慮ください。」と書いてあるのに戸を開ける行為に理解に苦しみます。

もし熱いという声があったとしても、夏なのだから熱いは当たり前です。

来年も開催するのでしたら、この点を十分考慮した方がいいと思います。
太郎吉蔵デザイン会議に参加させて頂き、ありがとうございました。
会議の内容は好奇心をくすぐり、しかもパネリストは各界でご活躍の方々。
普通はまずお話を伺う機会はないので、多少場違いだと思いつつも ノコノコとお邪魔し、今年もまたしっかり楽しませて頂きました。

初めは偉くて遠い存在だったパネリストの方々も、二度三度と拝見する うちに「勝手に顔見知り」・・・特に未だISDNのローカルに暮らす身としては、梅原さんのお話をもっともっと伺いたいと思いました。
(怒られそうで声を掛けられませんがファンです(^^)

今回特に印象に残ったのは、「一番デザインが必要なのは政治!」 というご発言です。(懇談会で竹尾さんが教えて下さった、「中国では デザインのことを策略と言う」とあわせて)
衆院選を月末に控えたこの時期なので、どうしても。

それから軽トラ。
海外へ売り出したら大ヒットするかも知れないのに、どのメーカーも 力を入れないとのことで残念です。
だってホントに便利なんですよ。私も購入しようかと迷った時期あり^^;

いずれ格好いい軽トラがデザインされるのを期待してます。

最後になりましたが、五十嵐先生はじめスタッフの皆様、本当にお疲れさま でした。
こんな素晴らしい機会と出会いを作って下さって、心から感謝しています。
今や私たち(義母とヨガの先生)の中では夏の風物詩になっているのですが、 こんな楽しみ方でもいいですか?
「ある対象について、良い構成を工夫すること」がデザインの定義だそうで、 とすれば、主婦もまた家庭においてのデザイナーと言えるかも。
・・・ということで、また来年も是非参加させて下さい(ムリヤリですね^^;)


追伸
西山浩平さんが「朝ヨガやってくれませんか?」とヨガ講師の荒井さんに おっしゃってました。
思わず、「ブラジルで盛り上がるから、翌朝は辛いんじゃないですか?^^;」 と言ってしまいましたが・・・。

義母は「太郎吉蔵でバイオリンのソロか弦楽四重奏やると、音の響きが良くて 最高だと思うわ〜」(かなりクラシックにはうるさいです^^;)
10周年記念デザイン会議などの際にはご一考下さい(^^)
このたびも又、さわやかな風と陽のもとに参加させて頂きました。
太郎吉蔵の迫力、快適さの中での皆様の重みのあるご意見の数々をはじめ
before,afterの素晴らしいお心遣いの数々は、貴重な五感の刺激でありました。
この「いい感じ」の集積の中から、次なる発展がきっと発酵し育っていくことでしょう。
五十嵐先生はじめ、パネリストの皆様、スタッフの皆様、ホテルの皆様に心から感謝を申し上げます。素晴らしき夏の日、夜でした!!

夜の素敵なお食事のレイアウト、艶消しになるかもしれませんが、メニュー片手にちょっと見づらかったので、一品ごとに品名の札をつけて頂くとよく分かったなァと思いました。これは私だけの好奇心で、皆様には不必要かも知れませんが・・・。
今回2回目の参加でした。
世界で日本でご活躍されていらっしゃる方々のご意見を、生で聞くチャンスは なかなかありません。
畑違いの仕事と思われますが、一生懸命に自分の道を歩んでおられる姿を近くで拝見出来ることが、私の「心の平和」「自然との共存」に光となってあたたかさを感じています。
お料理もとっても満足しております。ありがとうございました。
私にも参加させていただけるチャンスがあれば、来年はぜひ皆さんと朝ヨガをしたいと思っています。
スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
様々な分野でたくさんの経験をされた方々の議論を拝聴することができ、貴重な体験でした。
それぞれ一家言ある方々ですから、なかなか議論が思う方向に進まないようなところもありましたが、それこそが本音で議論しあう良さかと思います。
皆様の御発言の中で、いくつかの大変参考になる珠玉の言葉の断片をいただくことができました。
次回も是非参加させていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
「デザイナーの新しい役割」という切り口の見つけにくいテーマでしたが、 パネリストの皆さんのそれぞれの活動や経験をもとにしたお話を聞くことができ、 大変有意義な時間を過ごすことができました。

今回の会議をきっかけに、自分のなりの「デザイナーの新しい役割」というものをこれから考えていきたいと思います。
8月8日

滝川市の中心市街地にある太郎吉蔵で開催されている「太郎吉蔵デザイン会議」に参加する。最近仲良くさせてもらっている空想生活の西山浩平さんに誘ってもらったのがきっかけ。会場では、下田のまちづくりでお会いした新堀学さん、銀座で行われた建築系イベント「ライブラウンドアバウトジャーナル」でお会いした倉方俊輔さん、『マゾヒスティックランドスケープ』という書籍の企画で鼎談させてもらった原研哉さんにお会いする。東京や大阪で会うとそれぞれお忙しい方たちだから、ゆっくり話をする機会がないのだが、北海道の滝川で会えばじっくりと話をすることができるのが嬉しい。

会議のテーマは「デザイナーの新しい役割」。とても冴えたテーマ設定である。特に若い世代のデザイナーは、自分たちがこれまでと同じような「カタチのデザイン」を続けてもあまり意味が無いのではないか、と考えているように思う。そういう人たちに対して新しい役割を見つけ出すこと(発明すること)がとても重要になるだろうと思っている。ただし、会議は必ずしもこのテーマに沿って議論が進んだわけではなかった。

共感した発言には以下のようなものがあった。

・1950年から60年代は、新しいものをつくることで生活を豊かにすることが至上命題だった。そのとき、デザインというのはまさにモノをつくるための有効な方法だった。しかし、現在はすでにモノが飽和している。それなのに、まだデザイナーはモノをつくるだけの職能として捉えられている。そろそろ新しい役割を担うべきではないだろうか(西山浩平さん)。

・デザイナーは新しいビジョンを掲げる必要がある。ビジョンがないデザインが多すぎるのではないか(梅原真さん:デザイナー)。

・アメリカで生活していると「デザイン」という言葉を眼にすることはほとんどない。あるとすれば、銀行などで「あなたの退職後の生活をデザインしましょう」とか「あなたの資産運用をデザインしましょう」というときくらいである。つまり、デザインの対象はすでにモノだけに収まりきらない状態になっている。日本でいうところの「デザイン」はモノの形の話だけに収まっているが、これはアメリカでいうところの「ビジュアルデザイン」の範疇でしかない。日本のデザインも、政治のデザインやシステムのデザインなど、新しい分野に関わる必要があるのではないか(伊藤隆介さん:映像作家)。

・新しいものとともにいることを良しとして、古いものとともにいることを恐怖としたのがこれまでのデザインだった(原研哉さん:グラフィックデザイナー)。

・日本にはデザイナーが多すぎるのではないか。ほとんどの大学にデザイン学科があるというのはおかしな話だ。海外ではそれほど多くのデザイン学科はない。それほど多くのデザイン学生が卒業する国は日本だけである(五十嵐威暢さん:アーティスト)。

・グローバルな社会には外国語が重要になるといわれているが、本来は母国語を鍛えるべきである。母国語で自分がやっていることをしっかり説明できることが重要。それを海外に伝えたいのであれば、通訳をうまく使って相手にそれを伝える技術を手に入れておくことが重要(原研哉さん)。

・今後はいまほどデザイナーは必要なくなるだろう。札幌の若いクリエイターは東京に呼ばれても行きたがらない。行かなくてもWEBを通じてデータ入稿したり仕事を進めたりすることができるからだろう。それよりも自分の友達や彼女を大切にしたいと思っているようだ。これはグローバルを意識してローカルで活動するという考え方ではなく、ローカルなまま活動しても大丈夫だという感覚に近い。ローカルのためにローカルなまま活動していても、必要であればグローバルとつながれるという安心感なのかもしれない(伊藤隆介さん)。

・移動が必要な人は複数の言語を駆使してユビキタスな環境を求めることになるだろう。移動が必要ではない人は、自宅でネットに接続すれば世界中の仕事をすることができるようになるだろう。そういう人はプロトコルとしての外国語さえ知っていればいい、という状況になっている(西山浩平さん)。

・これまで一部の人にしかできなかったデザインという行為が、学生や高齢者でもできるようになってきているし、単価の安い海外の人でもできるようになってきている。となると、これまでデザインと呼ばれていた行為(ビジュアルデザイン)はみんなができることになっていき、これからデザインと呼ばれるものはどういうことをする職能になるのか、というのが見えなくなっている。これからのデザインは何を対象に、どんなことをすることになるのだろうか(西山浩平さん)。

・これまでデザインと呼ばれていたものが誰にでもできるようになって均質化していくというよりは、均質化すべきものが均質化し、特化すべきものが特化していくという時代になるということではないだろうか(原研哉さん)。


共感した発言をいくつか見つけることができたのは収穫だったが、会議の議論全体としてはどうも不完全燃焼だったという印象を持った。事後の懇親会でいろんな人としゃべってみたのだが、ほとんど印象は一致していた。議論の展開が、誰かが言ったことの重箱の隅をつつくようなものになってしまっていたような気がする。誰かが電気自動車の例を出せば、その後の議論が電気自動車をめぐる議論になってしまう。日本の美意識という話を出せば、その後の議論は日本の美意識だけを議論することになってしまう。これでは「デザイナーの新しい役割」にはなかなか近づけない。発言者が具体的な事例を挙げて伝えたかったことの本質について議論できないのはなぜなのか。そのことを考える必要がある、と感じた。

とはいえ、デザイナーの新しい役割を模索しようという態度は秀逸だし、そのために集まった会議メンバーもすばらしい人ばかりだった。あとは、議論の成り行きをうまくデザインする優れたファシリテーターが必要である。それもまた、市民の対話が新たな公共性を生み出す時代に必要なデザイナーの新しい役割なのかもしれない。
あの日は、なんだか、すごいものを見た。と思いました。
扇風機がまわる蔵のなかには、夕陽が差し込んで、その光のなかでの肩を寄せ合 う熱い語り合い。
まるでクーラーも蛍光灯もインターネットもなかった時代にタイムスリップしたようでした。

人間関係も空間も、どんどんドライになっていく世の中にほしかったのはこういうウェットな空間や時間だったようにおもいます。

「必要なものをつくる」ことがデザインの役割なら
この会議は、今の時代が求めたデザインなんじゃないかと思いました。

「体が感動するデザイン」には
”ナチュラル”とか”ぬくもり”とか”人間らしさ”とか、
そういうものが含まれるのかなぁと
会議自体が、デザインをするうえでのヒントのようでした。



そして会議では
たくさんのキーワードに出会えました。
流れるような語らいの中で、アンテナにひっかかった言葉をノートに書き留めながらの3時間。

「システム化された未来に、血の通ったデザインは存在するのか。」

「【ルイヴィトン×村上隆】【とらや×カフェ】
根っこ(創業当時)を大事に、先端も行く。最初のままじゃ、つまらない 。」

「ファッションの賞味期限は短く、凝って作っても、すぐ に流される。
誇りを大事にするのか、お金なのか。」

「生き延びるデザインとは。シンプルで強くて、世界と戦えるデザイン。 」

「鉛筆が六角形の理由。それがデザイン。」

「日本の美意識とは。」

「デザイナは無名でいい。」

「これからの日本は。」


このノート、
デザイン会議から3週間たった今も、まだ味わっている最中です。
なかなか消化できない言葉もあります。
それがこの会議の面白いところだと思いました。
味わったあとは、わたしの血とか骨とかになればいいのですが…



どれが本物かわからないくらい情報とモノにあふれた時代に
この蔵の語らいが
デザインの本質をチラリと見せてくれました。
やっぱりデザインっていいなぁと思うのです。


課題がたくさんありましたが、希望もたくさん見つけました。


そんな会議に出席できたこと、
素敵なみなさまとの出会い、
わたしにとっては、希望そのもの。です。



本当にありがとうございました。
太郎吉蔵のなかで、百人以上のひとが言葉のやり取りだけで交感している状況はとてもリアルな体験でした。聴衆は聞くだけとはいうものの、自分に直接するテーマを選び出しながら思いを巡らしている。僕の関心事はやはり北海道というローカリティでしょうか。自分の中心を、主体性を持って今いる場所に据えていきたいと思います。
かといって硬直することなく自在でありたい、とも。
デザインというテーマはとても広範で、誰にでも関係することですね。
日常の中で「デザイン」を考えるとするなら、どういう振る舞いをするとかなにを食おうとか単純なところが源流であるような気がします。目のまえに様々なものやことがあるからつい自分に都合のいいものを欲してしまう。でもそれは本質的にデザインを考えている訳ではないですね。あくまで「デザイン的」です。
デザイン的というとミーハーで薄っぺらにも聞こえますが、でもデザインを欲するという点では案外方向が同じかもと考えたりします。
さて、僕は写真屋なので目のまえのものをついそのまま受け入れてしまいます。 デザインはこちらがするのではなくて、世界のなるべく美味しくていいところだけを選んで持ってくる、それがデザインといえるならとても写真的です。
デザイン的だねといわれるような半端なデザインは要らないと思いますが、かといって世界の誰もが満足するようなデザインがそうそうあるものではない。
すごいデザイナーとはデザインの源流に遡行して世界の果てから美味しいものをもってこられるひと。僕のなかにはそんなイメージがあります。
「世界のなかにはすごいものがある」これは僕の思い込みです。
世界には様々な中心があってその周縁がローカル。
しかしローカルも世界のなかではある。
北海道はやはりローカルだけれど、案外すごい。
北海道人としてまだまだこの土地には発掘すべきものがあると信じています。
今回はじめて参加させていただき、有意義な時間を過ごさせていただきました。
このように、(デザインを中心とした)いろいろな分野の方が集まって議論する場があるということが素晴らしいと感じます。
「デザイナーの新しい役割」というテーマでしたが、これが答えだ、という明確な結論は出なかったように思います。
それでも、ひとつのテーマを軸に、普段考えていることやお互いの発言に刺激されての意見などが交わされるということに、 まずは意味があるのだと思います。ひとりで考えるのと話し合うのとでは、違ったものが生まれてきます。それが面白い。
「デザイン」の定義についても話されていましたが、デザインというとごく一部のセンスある人の世界のようにも感じていました。 でも、新堀さんの発言のなかにあった「つくる人のデザインとつかう人のデザイン」という言葉、いいなと思いました。
また、五十嵐さんと津村さんが話されていた「ある物を意識しただけで、それを見た人なりのデザインが生まれてしまっている」ということ、 なるほどな・・・と感じました。感じ方、捉え方、想像力等は誰でももっているもので、何かを「発見するだけである意味デザイン」。
ほかにもたくさん印象に残ることばがありました。 デザインという言葉のもつ意味は、思っていたより広そうです。
自分の仕事や生き方をあらためて考える機会にもなったと思います。
どうもありがとうございました。
私の制作環境の都合上、なかなか人からのアドバイスを受けることが難しく、
また「デザインとは」というデザインそのもに対して意見を交流しあう場というのに
触れたことがなかったので今回の会議参加は大変有意義な時間を過ごさせて頂きました。
デザインと一口に言いましてもファッションであったり、フードであったり・・・といろいろな観点から
物事の捉え方について教えて頂きました。

個人的には、一度お話をきいてみたかった原研哉様と直接会話を交わすことができ、
モチベーションの向上と共に「もっとこうしたい」「こうなりたい」という自分を創造することができました。
かなり良いお話を聞けて、納得したり、違うと思ったり、
疑問を感じたりと大変刺激になったのですが、
パネリストの人数が多すぎて、もう少しここの話を伺いたい。
皆さんに色々とお話をして頂きたい。
という部分が多かったので、少し消化不良な感じも致しました。
その後の懇親会で伺えた事もあり、議論出来た事もあり、
滝川は泊まって語る事に最大の意義があのだ。と思いました。
(日帰りで二次会などに参加出来ないのが、残念でしたが。)

デザイナーの方の話を聞ける
まして一同にかいして聞ける機会がなかなかない北海道ですが、
五十嵐氏の志にインスパイアされ育つ方が増える事を願っております。
今年やっと、初めて念願の滝川に、そしてデザイン会議に参加することが出来ました。
これだけのパネリストの方々が北海道は滝川の地に自主的に集われましたことに敬意を表しますとともに、同じ時空間を共有させて頂けましたことに感謝申し上げます。
そしてこの不況下にも遠距離にも拘らず、この真摯な議論をただただ聴くだけのために集われた聴講者の方々にも。

今年のテーマである「新しいデザイナーの役割」について、様々な示唆ある発言を拝聴できたことは、この夏の大きな収穫となりました。
ただ一つ残念だったのは、「デザイン」という言葉が今や便利過ぎて、 パネリストの方々が考える「デザイン」が広義だったり狭義だったり一定でなかったこと(これは巷でもそうです)。

今回の「デザイン」とは、私は会議途中で「グランドデザイン」(梅原さんの仰る「ビジョン」) のことだと思ったのですが、その単語も聞くことはありませんでした。
(そして国家なり政治なり社会像なり、はたまた「『デザイン』のあり方」そのものだったり、それを描くことが「新しいデザイナーの役割」なのではないかと・・・)

一度この便利な「デザイン」という言葉を使わずに(NGワードにして)、「デザイン」を語る(つまり浮かび上がらせる)のも一つの手段ではないかと思いました。

その晩、「ブラジル」から三浦華園へと集団で歩いて帰る路上、眼前が霧(もや?)がかっていたのがとても象徴的で、来年への密かな期待を抱かせてくれたのでした。